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「わたし」

こんばんはrisacoです。

平成がもうすぐおわり。

今週は、身体が熱が出たときのように汗をいっぱい放出して、全身筋肉痛のようなだるさ、眠くて眠くて、、、ああ、アップデートか〜なんて眺めていたら、感情や思考も洗いざらい出るわ出るわ、、、時代の切り替わりに対応しているのかしら。1つずつ、捉えては手放して、、、新しい時代を迎える準備をしております。

日々(というか常々)、自分を感じて生きていると、瞬間、瞬間、の自分に気づきます。(正確には自分だと思い込んでいるものに気づきます。)そして、自分とは違う周波数を手放していく。そんな繰り返し。どんどん軽やかに、ほんとうの自分を思い出してゆくプロセスです。

たとえば、、、

泥水=自分だとする。

いつの日か、なんでこんなに濁ってるんだろう。どうしたら、綺麗になれるんだろう。なんで、あっちの川は濁り方が違うのかしら。

な〜んて、、、あれこれジャッジしています。

そして、一生懸命綺麗になろうと努力します。

いっぽう、、

こちらの綺麗な川=自分だとしたらどうでしょう?

ああ、なんてわたしは美しいんだろう。あっちの汚い川に比べて、わたしの方が綺麗で、気持ちよくて、、ほら、みんなが集まってきてくれる。なんて素晴らしいんでしょう。

なーんて、ジャッジしています。

そして、もっともっと綺麗になろうと努力します。

泥水だろうが、綺麗な水だろうが、同じ意識レベルなのわかりますか???

これが、わたしたち人間が陥りやすい罠。

もしくは、楽しんでいるもの。

お金がいっぱいの方がいい、少ないとだめ。

人がいっぱい集まった方がいい、人が集まらないとダメ。

痩せてた方がいい、太ってたらだめ。

運動はできた方がいい、できないとだめ。

とか、、

ヨガをしていくと、瞑想していくと、そうではなかったことを体験します。

増えたり減ったり、、、

良くなったり悪くなったり、、

変化するものは幻想に過ぎない。

気づかぬうちに、その変化するものを自分と一体化させ、自分だと錯覚し、一喜一憂しています。

でも、ほんとうの自分とは、変わりようのない無限の可能性に満ちた存在。

泥水だろうが、綺麗な水だろうが、それはただの幻想だったんです。

ほんとうの自分とは、、、「水」そのもの。

そこに泥が乗っかっていようがいまいが、濁っていようがいまいが、澄んでいようがいまいが、波打っていようがいまいが、、、それらを表す無限の可能性に満ちた水そのもの。

濁っていようがいまいが、「クリアな水」はずっとそこに存在しています。泥水だと思い込んでるときは泥にフォーカスしてるだけ。

雑念があろうがなかろうが、「純粋なわたし」は変わらず存在しています。のっかってる情報にフォーカスしているだけ。

そんなイメージです。

感情でもなく、思考でもなく、体の形や、性格や、生まれた環境や、職業や、性別や、年齢や、肩書きや、特技や、、、いろーんなものがのっかってるそのフィールドそのものがわたし。

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